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「祈りのかけら ― 冨沢恭子の柿渋染めと縄文土偶展」
2013年10月29日(火)〜 11月24日(日)

10年ほどかけて収集した縄文時代土偶・土版・耳環等の残欠数十点と、冨沢恭子さんの布偶および柿渋染めのかばんを展示販売いたします。
展覧会記録としての写真集(大沼ショージ撮影)をアチブランチブックス3として発刊いたします。



開催のあいさつに代えて 〜 冨沢恭子 × アチブランチ

 
 
「柿渋染めは、太陽染めとも呼ばれますね。」
 
「柿渋を含んだ布は、太陽の光を浴びると色だけではなく質感ごと変わっていくのが特徴で、ごわっと染まりあがった布は染める前のそれよりもずっと丈夫になります。」
 
「なるほど。でも、季節ごとに陽射しは違うので、同じ工程で染めても同じ風には染まらないと聞きました。」
 
「夏は強く濃く、冬はやさしい色味に染まります。けれど、まるで土や岩のように染まりあがった布には、きまって眩しいほどのたくましさが宿るんです。」
 
「柿渋染めをはじめて10年くらいですか。」
 
「はい。この10年の間に、自分がいちばん伝えたいのは柿渋染めの持つその美しいたくましさだと気づきました。
使い込むことでやさしくうつり変わる布の風合いが、じっくりと移ろう自然の風景と重なり、その大らかさをかばんに写したいと思うようになりました。」
 
「冨沢恭子さんのかばん作りは、パターンどころか定規もほとんど使われないそうですね。」
 
「数字を使って頭で考えるというよりも、今日染まり上がった布で今日のかたちを作る、という感覚です。なので、ひとつひとつデザインが異なります。
自然が作る造形のような、それぞれが生まれてきたそのままの姿、そういう形を探して縫い立ち上げていきます。」
 
「冨沢恭子さんがそうして生み出す作品の、どこの国の道具とも言えないような無数の豊かなかたちに、古代を呼び起こす力があると感じるのは私だけではないと思うんです。」
 
 「かばん作りを始めて数年後から、素材の持つ力をシンプルに伝えるために装飾的要素を少しずつそぎ落としてきました。
そしてたどり着いたかたちの中に、太古の造形に見られるような、国を越えた共鳴を私自身が感じているからかもしれません。」
 
「縄文時代の人々によって作られた土偶の残欠と、冨沢恭子さんの柿渋染めを同時に並べる展示を実現したかったのは、その理由を知る糸口が見つかるかもしれないと思ったからでした。」  
 
「必要な道具を作る際にも楽しんで作っていたのではないかと想像させるような縄文のかたち。自分の中の“ものづくり”との焦点のようなものが、遥か時代をこえてわずかに重なります。
現代とは種類のちがう自由さと豊かさを持っていたであろう縄文人の暮しのこと、今回の企画をきっかけに、もっと知りたいです。」
 
「ムラを営みながらの定住生活が始まった縄文時代は、大陸と違って狩猟採集の生活でした。縄文時代の人々は、気候の変化にともなって起こりうる食物の不作に備えて、山野草でも動物でも魚介類でも、その時にあるものを分け隔てなく食べる知恵を持っていました。
そして、動物や草木においてはもちろん、土や石や空の星々にいたるまで、この世にあるすべてのものに宿る精霊とともに暮らし、時にその精霊に恐れおののき、時にそれと喜びを分かち合いながら、すべての人々が命の循環をかみしめていたはずです。土偶は、そういう時代からの遺物なのです。
諸説はあるのでしょうが、ほぼすべての土偶が女性であること、かつ妊婦であると思われることから、出産の無事を祈る目的、あるいは、死後の再生を祈願する儀式に使われたのではないかと考えられています。」
 
「自分の目で、周りの環境を注意深く観察しながら暮らしていたのでしょうね。
とても大切なことを伝えてくれているように思います。」
 
「10年ほど前に、偶然土偶のかけらとめぐり会って、思わず手に入れたい衝動に駆られました。まるで、造形表現の真理をみつけたような気がしたのです。
博物館の所蔵品や発掘資料を調べるにつれ、まったく同一のかたちが存在しない無数のバリエーションにまず驚きましたし、かけらとなった小さな造形から滲むように発せられる精神性に心震えました。
どうしたらかたちの中に気持ちを移すことができるかという、もの作りを志す皆が知りたいことの秘密が隠されているようにも思いました。
そんなある日、冨沢恭子さんが、土偶をモチーフにして、“布偶”なる人形を作られているのを知った時、ひとり勝手に合点してしまったのです。」
 
「私も土偶をはじめて見たときの衝撃は忘れられません。
呪術的な“祈りの道具”であったと考えられている小さな造形物には、自然の摂理や、人々の祈りがぎゅっと宿っていました。
記憶が新しいうちに急いで作らなくてはと思い、帰宅してすぐに布で土偶を作ってみたことを覚えています。確かに感じた、自分と縄文を繋ぐ“何か”を見てみたかったのです。
もちろん、双方のもの作りの根源にはそれぞれの時代を生きることの切実な思いや願いがあります。
それはまるで違う別物と言うこともできるけれど、人とものとが向き合う気持ちという意味で、実はどちらもそれほど変わらないのかもしれない。出来上がった布偶を見てそんな風に思いました。」
 
「日々“作りたい”と願ってしまう私たちの、けして静められない欲求の意味は、ただ、自分自身の自由なかたちを生み出すことを楽しみたいという気持ちに行き着くのかもしれませんね。
近年の多くの出来事が、従来の価値観を大きく揺さぶり続けていることは、誰もが感じていることでしょう。にもかかわらず自分には、未来へ続くもの作りの、あるべき姿を思い描くことがどうしてもできません。」
 
「自然との共存関係を一万年以上も続けた縄文人の誠実な思考の中に、その答えのヒントがあるのではないでしょうか。」
 
「それは、今日染め上がったばかりの柿渋のかばんの中にもあるのかもしれません。」

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